帰省中

仙台の実家にいます.

震災が起きてから始めて仙台に戻ったのですが,一見街の中はいつもと変わりないように見えます.実家のほうはどうだったかというと,家族に怪我はなかったのですが,家の壁紙がはがれたり,壁にひびが入っていたりしていました.地震対策というと大げさなのですが,ピアノが敷板からずれたのを直したり,2階にあるものを軽くしようということで,古いミシンを1階に移動したり,要らない本棚の本を処分したりなどしました.

昨日,どうしても行ってみたい場所があり行ってきました.奥松島野蒜海岸です.私が大学生時代ウィンドサーフィンをやっていた場所です.学生時代何度となく通った道を車を走らせ向かいました.いつも帰りに寄っていたたこ焼き屋さんがあった辺りまでは本当にいつもどおりでした.松島は観光船が運航していて観光客も多くいたりなどいつもの活気を取り戻しつつありました.ただ,その中には,ボランティアの腕章をつけた外国の方々がいて,いつもと違う様子も少しありました.やはり練習帰りに時々寄って蜆汁をご馳走になった海産物屋さんは営業していましたが,アスファルトがはがれたところに砂利を敷いてあったりなど,震災の爪あとがみられました.

某高校の野球練習場や列車の転覆があった東名海岸の近くになると様子は変わってきました.不自然に多い警察車両や所々に止まっている重機.このあたりは仙石線の復旧のめどが立っていない場所で,線路があるはずの場所に線路が見当たらなかったりしました.どうもこのあたりの風景が少し変で,どこか息苦しく,海面が高く圧迫される感じがしました.“(今は満潮だったか?いや,それにしても変だ.)”理由はすぐに分かりました.海面が高いという表現は的確ではなく,この辺り一帯の地盤が沈下したために,水位が高くなっているように見えたのです.このことを理解した瞬間に急に恐ろしくなりました.

最後の下り坂を降りたところから景色は一変しました.家はすべて全壊.2件並んでいたコンビニも両方とも全壊.この一帯は完全に生活している人も気配もありませんでした.この辺りで引き返そうかとも思ったのですが,どうしても野蒜の海を見ておきたいと思い,車を進めると,重機などで寄せられた瓦礫の山が大量に積み上げられていました.家などはほとんど残っておらず,大きな体育館だったか公民館も津波を受けた部分の形が変わっていました.ここで何人もの方々が亡くなられたことが容易に想像でき,しばらく言葉がなかったです.大学時代にウィンドした野蒜海岸はどうだったかというと,防波堤が積みなおされていましたが,やはり地盤沈下のせいか海が迫っている印象でした.

今,こうしてブログを書いていますが,写真を撮る気にはどうしてもなりませんでした.

なんかちょっと重い文章になってしまいました.あの風景を思い出すと複雑な心境です.心情的にまだいろいろ整理されていない感じです.

今晩から明日にかけて豊田市に戻ります.