無題

仮に,誰かに何らかの悩みを打ち明けたり,相談をしたりしたとします.このときって,どんな回答が返ってきたとしても文句は言えないのではないでしょうか?

相談をもちかけた時点で相手のことを100%信用したということであり,どんな言葉が返ってきたとしても甘んじて受け入れるべきだと私は考えるわけです.

・自分でも苦しんでいる自分の性格を指摘されようが
・節を曲げることを強要されようが
・全く役に立たない無理解でとんちんかんな意見を出されようが
・何のリスクも負わずにただ評論家になりたいだけの自己満足の言葉を浴びせられようが

それは,相談をもちかけた本人が悪い.
悩みや惑いを吐露した人間が悪い.

.....冷たいですね.
この冷たい意見が自分自身に向いているかと思うと結構きついですなぁ.....



相談されるのも仁徳と言いますが,この人にまた相談してみよう,私がそう思う人というのは多分,苦労が多かった人なのではないかなと思います.苦労してきた人というのはなんとなく器が大きく,人として温かみがあり,話すことによって安心感をもたらしてくれます.

私はここしばらく,Samadhi-Lab をどうやって存続させていくかというかなり難しいテーマにいろいろな解決策を探り,自分がやらなければならないこと,やってはならないことの取捨選択,判断に頭を悩ませています.

そんなわけで考えが少し自分の内側へ内側へと向いていたようです.こういうときって人に気遣いができなくなったり,周りを心配させたりでいいことがあまりなく,学生の時は気分が上向くまで引き込もったりしていたのですが30過ぎた大人がそうもいかないわけなのです.

幸いなことに,どうも私の周りには今まで苦労の多かった人,器の大きい人がたくさんいて下さったようで,なおかつ,
“何か出来ることがあったら協力するよ.”
という行動まで起こしてくださる方々もいて,自分を見てくれている方々がいることを有難く思った次第です.

私のわがままで始めたことなのですが,本当にいろいろな方々に感謝しなければならないですね.


マニューバーチャレンジの夜,思い悩んでいる私を気遣ってか,それともただ単に笑いを取るためか,酔って寝ている私に
“ちょんまげ”
をやってくれた人がいました.あの異物感はしばらく忘れられないでしょう.二度とやらないでほしいですが,さすがに笑えました.

今度やってくれたらここに実名を書きます(笑).