震災に思う

家族,親戚,主だった友人の無事はほぼ確認できました.ですが,高校時代の後輩がそういえば気仙沼から通っているって言ってたなぁ.....とか,大学一年時に一緒のクラスで二年目以降課が分かれてそれっきりになった友人が石巻出身だったなぁとか,長い間連絡を取ってない知人がどうだったかまでは知る術がないわけです.気にはなるのですが,無理に安否を確認するのもなにか違う気がします.風の便りをあてにするしかないのかもしれません.

実は母が今こっちに来ています.仙台から避難させたという表現はちょっと大げさです.もともと3/18の引越しの手伝いをお願いする予定で,実質,引越したばかりの私の身の回りをいろいろ世話してもらってます.私がいない時間が結構暇なようで,ストレスを溜めているようです.何か考えないとなぁ.....


Samadhi-Lab としても今回の震災に何かすべきだろうか?


実はそんなことを悩んでいました.誤解を招かない表現で書くのが難しいのですが,なんとなく,震災のために何かを,(例えば売り上げの一部を寄付とか)組織としてやるのは,なにか一歩間違うと広告やイメージ戦略のようになりかねない.....そんな懸念というか,邪推というか,予期不安に襲われたのです.

誤解に思わないで頂きたいのは,今,自分の持っている知名度やメディアや組織,場所などをいい形でシステム化して被災地支援の行動を起こされている方々を,上記のように思って見ているわけではないのです.私が知っている実際に動いている方の中には誰が見ても驚くような行動力だった方もいらっしゃって,尊敬の念を抱かずにはいられません.

そんな方々を見ながら,私は Samadhi-Lab 代表として何をするか?そんなことを考えていたのですが,私は以下のようにすることにしました.

Samadhi-Lab は見えない形で震災復興を支援したいと思います.時間が経って今のこの支援の動きが下火になった時も忘れずに.....具体的に何をやるか,やったかをあえてここに書くようなこともしません.

なんとなくそんな形が私らしくあり,Samadhi-Lab らしいのかな.....そんな風に思います.