混沌

アルバイトで高校生に数学を教えているのですが,ふとしたことがきっかけで,生徒から混沌(chaos)という言葉が出てきました.生徒の友達が使っていたらしいです.そういえば自分がちょうど高校生のころに現代文の先生が“混沌王の死”という不思議な話をしてくれたことを思い出しました.紀元前300年ぐらいの荘子の話なのですがこんな感じです.

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天と地の王様は、もと住んでいた混沌の王様をときどき訪ねては、王からもてなされていました。いつも混沌王にもてなされるので、お返しをしようと思い立った天と地の王様たちは、混沌王には目も耳も鼻も口もない、これらがあれば、もっと楽しめるはずだと考えます。そして人間と同じように七つの穴を開けてあげようとします。七日間かけて、七つの穴を開け終わったあと、次の日に混沌王を尋ねてみると、混沌王は死んでいました。

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まったく意味不明な話です.何で混沌王には顔がなかったのか?なぜ穴を開けたら死んでしまったのか?そしてこの話で荘子は何を伝えたいのか?いろいろな人がいろいろな解釈を試みていますが,ネット上を調べてみると“自然を大事にしましょうね”みたいな受け取り方が多いようです.

混沌としたもの,形のないもの,秩序のないものをありのままに受け入れることも時には必要なのだという解釈で考えてみたのですが,人の心の話と考えることもできるなぁと思ったわけです.

混沌とした人の心.たとえば,死別,離婚,失恋,失業,トラウマ,その他.心が何かにとらわれたときっていうのはまさに混沌としていて,無秩序で,非論理的で,なぜこんなことになるのだろうと自分自身の理解に苦しむことがあるわけです.“混沌”の対義語は“秩序”と言われますが,人間いつでも秩序だって物を考えることができるわけではないですよね?

おそらくはそんな人間の“混沌とした心”というものも時にはあるがままに受け入れる必要があるものかもしれません.受け入れ,無理に弄くらず,流されず,そして自分が為すべきことを為す.

って偉そうに書きましたが私もまだまだいろいろなものに思い悩み振り回されてます.いくつになってもそうなのかもしれませんね(^_^;).

気分でウィンドとまったく関係のない話を書いてしまいました.たまにはいいですよね.