謙遜は主観的虚構性

“♪世の中やってもダメなことばかり〜♪”

ちょっと歌ってみました.為すべきことをなしたら,それ以上は天命を待つしかないのでしょう.

最近,“主観的虚構性”なる言葉を聴きました.意味は,
自己の主観にとらわれて、事実が見えなくなっている状態。事実ではないことを、事実と思い込むこと。
だそうです.例としては,どうせ自分にはできないとか,自分は誰にも相手にされないとか,そんな感じでしょうか.

ふと気づいたのは,謙遜も一歩間違うと主観的虚構性なのかもしれないなぁということです.

とあるお酒の席で,
“usuiさん,ウィンドで60km/h以上出せるってすごいねー.”
っと同じゲレンデでウィンドしているYさんに言っていただいたのですが,つい癖で,
“いや,たいしたことないですよ.原付を超えた程度ですよ.”
なんて言葉を返しました.するとYさん,
“いや,そんなことはない.だれでもできることではない.もっと自信をもっていいことのはずだよ!”
と熱く私に言いました.そのときの熱い口調はお酒が入っていたからかとも思ったのですが,今考えてみると私が謙遜の陰に隠れ,自信を持つということからどこか逃げていることに対する叱咤だったのかもしれません.

Samadhi_Labのプロジェクトは突然に時間とわずかの資金の自由を得た一個人が何をトチ狂ったか始めたもので,私自身,それほどすごいことだとは思っていなかったのです.技術的には私の前職の人間であれば誰でも可能ですし,協力をお願いする交渉はちょっとした度胸と人並みの常識と礼節があれば可能なはず.そして私のウィンドの能力は多分国内で二流以下です.
ですが,私のやっていること,そしてその成果をいろいろな人に良く評価していただいたおかげで,ともすると,謙遜も過ぎると失礼なことなのかもしれないと思い始めたところです.まぁ,もっとも自信が過ぎるといけ好かない人間になってしまったり,慢心に足元をすくわれたりするでしょう.

そんなわけで私は新しいバランスのとり方を学ぶ必要がありそうです.